古代アステカ王国

古代アステカ王国

2024-02-11 2024-02-11

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増田義郎 「古代アステカ王国」 中央公論社

ところが、モンテスマの方は、そうではなかった。キリスト教の唯一の神こそ真の神であり、アステカの神は邪教の悪魔だ、とコルテスに言われたとき、彼は、いやアステカの神こそ真の神で、白人の神は悪魔だ、というように切りかえすことができなかった。なぜか? 光明と闇、善と悪、神と悪魔が、決定的に相容れないものとして対立し合う、という考え方は、アステカの宗教にはなかったからである。
(中略)
孤立した世界に住むアステカ人は、厳密な意味での、じぶんの文化と他人の文化という概念をもたず、スペイン人が彼らの世界にはじめてもたらした異質の文化も、じぶんたちの文化のことばに翻訳しなければ、把握することができなかったのだ。1

アステカはコンキスタドールのコルテスにより 1521 年までに征服された。 アステカの人々には、コルテスが迫ったキリスト教への「改宗」なるコンセプトを理解することがむずかしかったようである。彼らは、自分たちの世界観の外側にべつの世界観が存在することを想像できず、キリスト教をアステカの宗教体系の内部で解釈しようとした。 それに対してコルテスらスペイン人は、イスラームとの対立の歴史を通して異教との対立や交流に慣れていた。

ここで示されているのは近代的な「信仰の自由」というコンセプトの限界であり、またそれが大いに西洋的な概念であることだと思う。フランスの法制史家ピエール・ルジャンドルは以下のように言う。

その「信仰の自由」というのがまたとない西洋の武器なのですよ。「信仰の自由」ということで西洋人は何を言おうとしているのか? それは信仰が個人の自由意志の管轄に属するということで、それ自体がきわめて西洋的な概念に基づいているのです。私の知っているアフリカでは、誰も個人の意志で神を選んでいるわけではないし、それはいかなる意味でも私的な信仰ではありません。だから、「信仰の自由」というのは、一見公平な開かれた条件のように見えますが、それ自体すでにきわめて西洋的な枠組みであって、それを輸出すれば西洋は自らの概念装置を輸出したことになります。2

アステカは大規模で組織的な人身供犠をおこっていたことでも知られている。生贄の心臓を生きながらえぐり出し、神に捧げる。 彼らの宇宙観においては、太陽は暗黒の宇宙において無数の星と戦っている。太陽に食物を提供しなければその戦いにやぶれてしまい、翌朝太陽はのぼらず現世は消滅してしまうという。

確かにここにおいては改宗の余地はないように見える。
存在するのは、全宇宙に対する責務を一民族だけで果たそうとする、現代人の目からすれば奇異にもうつるマキシマリズムである。それは映画「ノスタルジア」で、世界で起こっていることすべてに対する責任をひとりで取ろうとしたドメニコのような真剣な姿だ。


  1. 増田義郎「古代アステカ王国」中央公論社、p127-128 

  2. 坂口ふみほか編「宗教の社会学」岩波書店 

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